我慢が限界を超えた時、辛すぎて死にたくなってしまったら


我慢が限界を超えた時、辛すぎて死にたくなってしまったら

人生には「ピンチ(窮地)」があるものです。

スポンサーリンク


人によって、そのピンチの数はかなり違うもので

少なければ良いとは必ずしも言えません。

何故か?!

ピンチなど無いに越したことはないだろう!と思いがちですが

動物、勿論「人」も、大なり小なり「ピンチ」の時にこそ爆発的な

学習能力を発揮し、強烈に経験値として深く自身に刻み

後に成功に行き着くための「貴重な感覚」となって行くからでございます。

———————————————————–
時には危険察知センサーのデータとなり

時には正解を素早く引く為の端折り(はしょり)リストのデータとなります
———————————————————–

しかしながら・・・

だからと言って、ピンチは絶対に乗り越えなければならないと

考えるのは大きな間違いでございます。

生きる上で、自分にある程度厳しくする事は勿論大切なのですが

分野分野で得手不得手は必ずありまして

「ある」ストレスに対しての耐性は、人によって大きく違いますので

何でもかんでも、他人と同じように耐える必要は無いのですね。

今のピンチ(窮地)にどこまで耐えるか決める最も大切な尺度は

「おかれた環境の中に、希望(狙い)はあるか?」という事です。
(これは、自分の感覚で測って良いのです)

例えば、理不尽な「学校でのいじめ」「職場でのパワハラ」

「ただただ奴隷の様に働かせる事が目的の会社」などに素材としの希望は

残念ながらありません。

そういった理不尽な環境でも戦える力(得られる狙い)がある方ならば

挑んでみるのも大きな成長の糧となるでしょうが、その力(狙い)が

無いとか、残っていないのなら・・・

堂々と「思いっきり、お逃げなさい」(^^)

——————————————

三十六計逃げるに如かず、という諺がございますが

これは

計略には様々なものがあるが、困ったときは逃げるのが最良策である

という意味でございまして

しっかりとした戦略の一つでもあるのですね。

———————————-

実は

闘う事と、逃げる事は「=」だという事をご理解頂きたいのです。

闘う(戦う)時には、アドレナリンがドバっと出まして、文字通り

肉体も精神も戦闘態勢に入りますが

実は「逃げる時」にも、同様の物理的変化が起こるのです。

そうです

逃げる事は、実は戦術の立派な一つ!という事なのです。

例えば、これ以上戦っても無駄な時(無駄だと思った時)は

サッサと逃げて、次の戦いに備えて体力(気力)を温存するとか

次のチャンスを得る為に、生き延びる

なんて考えますと、分かり易いでしょう。

死んでしまっては元も子もありませんからね、ほんと。
(死ぬとは、色々な意味ででございます)

ですから

本当に、もう駄目だ!という状況に陥ってしまったら

死力を振り絞って戦術的逃亡を、勇気をもってして頂きたいと

申し上げたいのです。

———————————–
また別の角度で考えてみましても

例えば仮に、喧嘩で恰好よく勝ったって、相手が大けがしたり死んだりして

刑務所に入りたく無いですよね?
(これも自分が死ぬ事ですよね)
——————————

将棋にも、王の早逃げ八手の得!という格言がある位ですから(^^)
(余談ですが、得手不得手と好き嫌いは、意外と逆だったりする事も)

スポンサーリンク


スポンサーリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA