自己責任感覚の大切さ -自己責任感覚は財を成す-


自己責任感覚の大切さ -自己責任感覚は財を成す-

どんな分野でも「達人」ほど自己責任という感覚を、しっかり持っている

スポンサーリンク


自己責任

明後日(あさって)を向いた使い方も確かに横行しておりますが

今回は、そちらのお話は置いておいて

「自己の中の自己責任感覚」についてでございます。
※今回は、あくまでも自身の胸中の自己責任感覚でございます

例えば、簡単な例を上げますと

日常でよくある出来事と致しまして

忘れもの

がございますが、他人の忘れ物を自分の物にしてしまうのは犯罪であり

道徳上もとても悪い事ですね。

また、日本では落とし物の届け出率が非常に高いのは素晴らしい事であり

世界に自慢できる事でございます。

では例えば

落とし物をネコババした人と、落とした人

はたして、どちらが悪いと思いますか?

もちろん、法律的にはネコババした人が悪いのですが

私は、やはり、一番悪いのは「落とした人」だと考えます。

一見、厳しい様ですが、大切な物ほど、落としたり忘れたり

しないようにしなければいけません。

だって、そうでしょう?

不注意で命を落とした場合、誰か拾って戻してくれるのですか?

物だって同じです

場合によっては、命に係わる様な物(例えば発作用の薬等)や

ビジネスで命取りになる様な物(契約書や貴重な資料等)は

落とす=命を落とす事に直結致しますね。

それに、もっと身近な例をあげますと

例えばタクシーに携帯電話(スマホ)を忘れたとしますと

運転手さんに(かなり)迷惑をかける事になるのです

運転手さんも、生活の為に稼ぎ時は懸命に仕事をしたいのに

忘れ物の対応に時間や、手間を取られるのです

最悪な落とし主は、近くだから持って来いとか

警察に渡してくれとか、日時を決めて待ち合せたいとか

送ってくれとかの要望を言いますが

どれも、想像以上の手間や時間がかかるのです(経費も)
(自分が対応させられる立場になれば容易に想像がつきますね)

本来なら、どんなに遠くても、落とし主が営業所なりに出向いて

手間賃(預り賃)を支払って

引取りに伺うのが本筋でございます。
(他人に迷惑をかけたら相手が納得できるお詫びをするのが当然)
(他人にお世話になったら、心から感謝をするのが人の道)

ですので

本当なら、落とした時点で即アウト

太平洋や噴火口に物を落としたのと同じで、基本的にはもう戻らない

と考えて、行動するのが正しい感覚であり、心構えでございます。

また逆に

そういう自己責任感覚を持っているからこそ

もし、拾って届けてくれた人がいたなら、心から感謝する事も出来ます

忘れ物に限らず、こういった「感謝の念」は

どんな事にでも共通の「自己責任の感覚」を持ち合わせていないと

起きてこないのです。

たまにいらっしゃいますよね、他人や行政に何を助けてもらっても

「当然だ」とか「おぉ、良かった」で済んでしまう方・・・

こういう人は、最後には必ずなにかしらの破綻をして行きます
(お金が入ってきても、何故かどこからかダダ漏れします)

何故なら、そういう人には、心から気遣ってくれる「人」は

居なくなるからです(居てもどんどん遠ざかります)

良い情報も、良い縁も、物もお金も

持っているのは「人」ですから※逆もしかり

そういう人の周りに残る人は、同じ感覚の持ち主だけです。
(油断ならない人間関係の出来上がりという訳でございます)

また、別の角度から見れば

落とし物をした時点で、他人様に想像以上の迷惑をかけているので

もっと簡単に言えば

落とし主が「世の中に迷惑をかけている」悪い人なのです。

この辺の感覚を、きちんと持ち合わせていれば

万一、忘れ物や落とし物に限らず、何か不測の事態を

起こしてしまったと致しましても

一流の人間としての対応が、しっかりと出来ますし、

誰からも信頼される振る舞いができます。
(人間、間違いやミスはあるもの、重要なのはその時の姿勢です)

感謝の念を持っている人には、どんどん良いものが(人も)集まります

その感謝の念の基となるのが、しっかりとした「自己責任感覚」です。

スポンサーリンク


スポンサーリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA