
神頼み、仏頼み、の効果はあるのか?
神社参拝や宗教信仰、または真逆の呪い呪術など、
世の中には様々なスピリチュアルな儀式習慣がございます。
では、果たして本当にそういったものに願いや願望を叶え
るパワーなるものがあるのでしょうか?
これは残念ながらほぼ無いというのが事実となります。
何故かと言えば
例えば神様や仏様がいらしたとして、それを信じ、奉る
極悪人が、自分勝手で他人を不幸にする様な願いをした
場合や
全く勉強しないで、ある名門学校に入学したいと願いをか
けた熱心な信仰者がいた場合
この人達の願いを神様や仏さまが叶えるのでしょうか?
もしこんな願いが叶ったとすれば、真面目に努力して来た
人が、代わりに願いが叶わなくなってしまいます。
こんな事が通ったとしたら、まさに正直者が損をして
悪い奴らが幸福になる救いようのない世の中が成立して
してしまう事になります。
神様や仏様が、このような不公平な願いを叶えるとすれば
それは神や仏ではなく「悪魔」の様な存在と言えるでしょう

つまり
いくらどんな信仰を熱心にやろうが、どんなに有名な神社
に何千回お参りに行こうが、自分自身が、願掛けに見合っ
た実力を付けない限り、永遠に願いは叶わないというのが
現実の答えになります。
お参りして宝くじに当たったとかは、単なる偶然です。

願いを叶えるかどうかは、全て自分自身の力を引き出せる
かどうかにかかっていて、他力本願では不可能なのです。
本来信仰とは、その宗教を学び、護る為の行為であり
神社参拝は、感謝と敬意を伝える行為であって、交換条件
の様に自分の願いを叶えて貰おうなどという精神は、
むしろ卑しい心根とも言えましょう。
ですから、信仰は自身を高めて、現実の世界で戦う力を
養うために行うモノであり、神社参拝は、自分自身に誓い
や決意を立てる神聖な場所と捉えるべきでしょう。
この宗教をやれば幸せになれるとか、お参りすれば願いが
叶うと安易に考えてはいけません。
(そういうモノではありません)
自分の中には、実はとてつもない能力と可能性が必ず有り
まして、それをどれだけ引き出せるかは自分自身の心持に
かかっております。

その心持を大きくするか、小さいままでいるかで、出せる
パワーが違って来るだけでして
その心持を鍛えるのが、夢と経験であり、学問も宗教も
この中に含まれる「一部」以上でも以下でもありません。

